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ドキュメンタリーに特化した映画レビュー。社会不適合者が生きやすくなるための資料室。<Film-reference>

【スラムドッグミリオネア】今は未来に繋がっている。

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ドキュメンタリー中心と謳いながらも、一発目がドキュメンタリーではないという横暴。しかし、ぜひこの映画から始めたい。この映画は回想を軸として描かれているが、まるでドキュメンタリーのようであると感じたからである。

 

ドキュメンタリーというものは誰かの人生を垣間見る作品である。

さらには自分自身の人生こそ最大のドキュメンタリーであるからだ。

 

私はこの作品を通して、人生がいかに偶然ではなく、どこかの一点へ向かっていくものだと感じた。

 

■スラムドッグミリオネア

すべての答えはあなたの人生の中にあるのかもしれない。

 

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●概要

スラムドッグ$ミリオネア』(原題: Slumdog Millionaire)は、2008年イギリス映画インド外交官ヴィカス・スワラップ[2]の小説『ぼくと1ルピーの神様』(ランダムハウス講談社)をダニー・ボイルが映画化。

第33回トロント国際映画祭観客賞、第66回ゴールデングローブ賞作品賞(ドラマ部門)、第62回英国アカデミー賞作品賞受賞。第81回アカデミー賞では作品賞を含む8部門を受賞した。

 

 

●あらすじ

インドの大都市ムンバイの中にあるスラムダーラーヴィー地区で生まれ育った少年ジャマールは、テレビの人気クイズ番組『コウン・バネーガー・カロールパティ』("Kaun Banega Crorepati"、原題は『フー・ウォンツ・トゥ・ビー・ア・ミリオネア』、日本版は『クイズ$ミリオネア』)に出演する。

そこでジャマールは数々の問題を正解していき、ついに最後の1問にまで到達した。しかし、無学であるはずの彼がクイズに勝ち進んでいったために、不正の疑いがかけられ、警察に連行されてしまう。そこで彼は生い立ちとその背景を語る。

 

スラムドッグ$ミリオネア - Wikipedia

 

■“駆け抜けたその道に夢とヒントが落ちていた”

主人公ジャマールは、“偶然にも”クイズ番組に出演。
ジャマールはスラム街の出身で、まともな教育も受けていないにもかかわらず
正解を連発する。

 

ストーリー上では、問題が出題され、ジャマールがなぜ正解できたかが
回想として解明される。

 

出題された問題の答えやヒントはジャマールがこれまでに経験したこと、見たこと、
聞いたことであった。

 

まさにスラムで苦しい生活を強いられていたその人生にこそ夢とヒントが落ちていた。

 

これはジャマールだけではなく、実は万人に起こっていることではないだろうか。

我々は人生というクイズ番組に出演していて、さまざまな難解な問題が出題される。

その答えやヒントは、自分のこれまでにあるのかもしれない。

 

■美しい映像と音

この映画は、まず映像と音楽がすばらしいというところに尽きるだろう。

ストーリーは言わずもがな素晴らしいものであるが、まずはヴィジュアル面として素晴らしいと感じる。

 

この物語は、主人公ジャマールが大金のかかったクイズ番組で正解を出し続け、ミリオネア(大富豪)まであと一問、といったところからはじまる。

ジャマールは不正を疑われ、警察に詐欺罪として取調べを受ける。

その取り調べの中で、なぜ答えを知っていたのか?と問われたことから
番組内のVTRを見ながらその答えを知った経緯を話し始める。

 

その冒頭から映像が美しいのだ。
タバコの煙を吹き付けられる怯えた顔の少年、その雰囲気とは真逆の華やかなテレビ番組の風景。

相反する風景と感情、どうしてこうなってしまったのかと観客を惹きつけるような演出がすばらしい。

・聴き慣れた音と、アジアンテイストの美しい音楽

日本でもリメイクされて放送されたクイズ番組なので、使用されるサウンドは聞いたことがある人も多いだろう。
しかしこの映画で聴くとまた違った味わいというか、重みを感じながら随所随所で聞くことになる。

日本では、ありふれたクイズの演出音が劇中後半ではすばらしく映えている映像とともに流れる。

 

そしてクイズ番組のサウンドだけでなく劇中流れる美しい音楽は誠実で在り続けることの難しさや儚さを象徴しているような音楽でさらに美しさを増すものである。

 

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・インドの美しい景観、自然と格差の風景

回想のなかのインドが美しい。
色とりどりの衣装と砂の大地の対比がすばらしい。
そして景色のなかにも自然とスラムのバラックが所狭しと並ぶ景観はまさに
映像芸術である。

 

インドの富裕層やギャングのライフスタイルと、スラム街に生きる子供たちのライフスタイルの格差にも注目していただきたい。


さすがに日本ではスラムのような生活をしている子供はいない。
法治国家である以上悪事に手を染めるギャングはほとんどいないし、
いろんな福祉制度がある。

逆にそれが生きる力を失わせているのかもしれないとさえ思う。

スラムの子供はたとえ悪事を働いても生きるという選択肢を選ぶのだ。

悪事を推奨しているわけではないが、格差社会がどうだこうだと言っている日本はただただ“ヌルい”と感じる。

 

スラムのような国になれとは言わないが、個人個人ができることはこの恵まれた日本では意外と多い。しかし人は何もしないという選択をする。

序盤で子供たちが監視員から逃げる描写がある。
バラック小屋を所狭しと走り回る子供とともに映し出されるスラムの生活。

もしかしたら、今の日本人にはないイキイキとした雰囲気が感じ取られるのではないだろうか。

 

■ジャマールとサリーム、そしてラティカ

・生きるということ。

ジャマールとサリームだけでなくスラムで生活する子供たちはすばらしく生きる力に溢れている。


場所を変えながらも、列車でお土産品を売ったりタージマハルで(勝手に)ガイドをしたり様々な仕事をして生活費を稼いでいる。

 

しかしそのためにママンのような子どもを搾取する大人もいて、クイズ番組の司会者のように優しい顔をしながらもひどい仕打ちをする者もいる。

劇中にて、観光客車の部品を盗んだ時、警官(警備員?)に暴力をふるわれ、
“これがインドの本当の姿だ!”というセリフがある。
それを聞いた観光客は“アメリカの本当の姿を見せてあげる。”と言ってお金を渡した。

 

美談のようにも見えるが、観光客側からすれば優越感と同情であり逆にスラム街の子供にしてみればお金をせしめる口実にすぎない。

 

・誠実で優しいジャマール(弟)

とは言え、ジャマールは成長するにつれきちんとした仕事に就いている。
食堂で注文を取っていたりする。
サリームも一応同じところで働いてはいるが、勤務態度はあまりよろしくない。

もともとジャマールは気の優しい少年である。
ヒンドゥー教徒の暴動の際、逃げている時にもラティカも一緒に逃げることを促しているし、ママンの元から逃げる時もラティカの手を離したサリームに怒りを表している。


そんなジャマールにも大胆な一面もある。
序盤で人気俳優が来た時には、トイレに閉じ込められていたが自ら肥溜めに飛び込み
脱出を図る。
そしてうんこまみれのまま人気俳優からサインをもらうことができた。
ジャマールは、実は自分が大事だと思うものに対してはただらなぬ意志の強さを持ち合わせている。


それはラティカとの関係にも言えることである。

 

・血気盛んで支配的なサリーム(兄)

ジャマールの兄であるサリームは血気盛んで喧嘩っ早い側面がある。
お金を稼ぐことに執着しているように見える。
しかしそれはおそらく“兄である”という責任感のようにも感じられる。

支配的ではあるが、“兄としてまとめなければならない”という責任感が前提となって
スラムの子供を支配しようとする。

その性質のせいで、よくない大人に目をつけられるのだ。
ママンにも“野良犬のままでいるか、、強い男になるか?”などと詰め寄られるほど
強すぎる責任感を逆手に操られてしまう場面がある。
もしかしたらジャマールよりも兄弟で生き抜こうとする気持ちが強いのかもしれない。

 

ママンに盲目の歌い手にさせられそうになった時にはジャマールを逃しているし、
ジャマールがコールセンターから電話をして会うことになった時も、“もう離さないぞ。
兄弟は一緒だ”と言っている。
彼なりに弟を大事に思っているのだろう。

 

しかしそこにラティカという女性が現れることによって、ジャマールがとられてしまう

という嫉妬にかられてしまったように思う。

 

・運命に翻弄される少女、ラティカ

ラティカはヒンドゥー教徒の暴動の際、ジャマール、サリームが逃げている最中に出会った少女である。
すでに父母はおらず、見た目もジャマールとサリームよりも見窄らしかった。

二人と生活をともにするようになるが、ママンのもとで生活するようになって
運命が狂っていく。

ジャマールとサリームがママンのもとから逃げるとき、逃げ遅れてしまいそれ以降ずっとママンのもとで飼われていたようである。
踊りを教えられ、高く売るために教育を施されていた。

 

その後迎えに来たジャマール、サリームとともに再度逃げることになるが、
ここでも運命の悪戯のせいでジャマールとは離れ離れになってしまう。

 

サリームの嫉妬とラティカの運命、この二つがジャマールをあの番組へ導いたのかもしれない。

 

■目を潰された少年

ジャマール、サリーム、ラティカの他に書いておきたい人物がいる。

それはアルヴィンドである。

彼は、ママンのもとで生活していた子供の一人で、

ママンに盲目の歌手として物乞いをさせるために両目を焼かれた少年である。

 

ジャマールは路上で歌う彼を発見し、チップを渡す。
ジャマールは「ごめんな。」と言うと彼は、

“I wasn't so lucky. That's the only difference.”

(僕は幸運じゃなかった。違いはそれだけさ。)

 

と言った。

 

これがスラムに生きる子供の矜持なのかもしれない。

逃げた者や成功した者を妬み、恨むのではなく自分が運に恵まれていなかっただけのことだと割り切ること。

それはとても思い切りがいいように感じるが、とても悲しいことのように感じる。
彼らにはどうしようもないからだ。
もし何かができるならば彼らは喜んで行動するだろう。

現代の日本はいろんなものが溢れている。
その中で、運に恵まれなかったとしてもさまざまなやりようはこのスラムの子供よりも選択肢は多いのかもしれない。

 

私はアルヴィンドの言葉は諦めの言葉には聞こえない。

 

幸運じゃなかったからこそ、得られる何かがあると思いたい。

 

■クイズ番組に出演するジャマール

・ジャマールと大人たち

ジャマールはたまたまクイズ番組に出演することになる。

彼は大金持ちになることが目的ではない。

 

しかし、なぜか正解し続け大金を掴む一歩手前まできてしまう。
よく思わない司会者はイカサマをしかけるがジャマールは応じない。

苛立った司会者は警察に通報する。

 

司会者はスラム育ちでコールセンターのお茶汲みに大金を渡したくなかった。
こういった大人に出会うことは“運”が悪かったのだろうか。

いや、ジャマールには別の目的があったため、クイズの正解不正解や大金などは
たいして興味がなかった。
よって感じの悪い司会者だったからと言って“不運”ではなかったと考える。


ジャマールはすでにこの時“運”に任せることを諦めていたのではないだろうか。

 

“運”ではなく、圧倒的な行動力、クイズ番組に出るという行動において
自分が欲しいものを手に入れようとしていたのかもしれない。

 

それはスラム街に住んでいた時に、人気俳優のサインが欲しいから肥溜めに飛び込んでうんこまみれになるのと同じ気持ちだったのかもしれない。

ジャマールは意志が強い人間である。

 

警察の取り調べの際にも、“詐欺罪を逃れるために、殺人を白状?利口とは言えない”

と言われているが“質問されたから”と答えている。

彼にとってクイズ番組でイカサマをして詐欺罪というのはどうでもよかったのだ。

 

ジャマールはアルヴィンドの言葉をしっかり心に留め置いたのかもしれない。

 

■運と運命

I wasn't so lucky. That's the only difference.

“幸運じゃなかった、違いはそれだけ。”

 

たまたまクイズに答えることができたことも、今まで幸運じゃなかったから。
最終的な目的は果たせたことさえも、今まで幸運じゃなかったから。

むしろ、良い生活をしている富裕層やギャングたちには得ることができない幸せがあるとするならば“幸運だった”からだと言わんばかりである。

 

クライブ・フィンレイソンの著書(“そして最後にヒトが残った”)にて「適者生存」にて環境に適しない者が生き残るという節がある。

「明日幸せになる人は、今、不幸でなければならない」と要約できるだろう。

 

昨今では「親ガチャ」なる言葉を目にすることがあるが、

それもある意味「運」であるに違いない。

生まれた土地や環境などで将来の地位や収入、環境が決まってしまうこともあるかもしれない。

 

“恵まれた環境に生まれたこと”が偶然であり、違いはそこだけなのだ。
これは諦めの言葉でなく、むしろつらい経験や恵まれない環境にいる者、
いた者にこそわかる境地があるということなのかもしれない。

幸運じゃなかったからこそ、深く自分の人生を語ることができる。

 

平凡な人生なんてものは実は存在しなくて、平凡な人生にしてしまっているのは
自分自身であり、語るべき何かをスルーしてしまっているのかもしれない。

 

このブログを書いている私は、根っからの社会不適合者である。

「運」が悪かったのかもしれない。

 

私は同じような社会不適合者やこの社会で生きにくさを感じている人間に伝えたい。

今まさに、駆け抜けているその道に未来の夢とヒントが落ちている。

 

このブログは、そんな社会不適合者に向けて綴る映画の参考資料室、
< film-reference >としての役割になればと考えている。

 

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